1970年代後半から2020年現在まで、芸能界の第一線で活躍を続けている明石家さんまさん。

国民的お笑いスターの1人であることは有名。

ビートたけしさん・タモリさんと並び「お笑いBIG3」の1人に称されていて、国民誰もが知っている人物と言ってもいいかもしれません。

そんな明石家さんまさんですが、生い立ちが壮絶と話題に。

明石家さんまさんは継母に育てられたという噂は本当なのでしょうか。

現在多面で活躍している明石家さんまさんについて詳しく調査しました!

明石家さんまさんの若い頃

まずはプロフィールから見ていきましょう。

本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)

別名義:笑福亭さんま(旧名)

生年月日:1955年7月1日

出身地:奈良県 奈良市

学歴:出身奈良市立鼓阪小学校→東大寺学園中学校(受験したが不合格)→奈良市立三笠中学校→奈良商業高校

和歌山県串本町の水産加工業の次男として誕生。

その後3歳の時に奈良県に転居しました。

明石家さんまさんの家族構成ですが、ご両親、お兄さん(正樹さん)との4人家族。

しかしお母さんは明石家さんまさんが3歳の時に、病気で亡くなってしまいました。

その後、小学校高学年のとき、お父さんが再婚されます。

継母には連れ子がいましたが、歳の離れた弟ができたと、明石家さんまさんは大喜び。

しかし新しいお母さんには遠慮もあったそうです。

その思いが伝わってしまったのか、新しいお母さんも実の子どもである弟ばかり可愛がったそうで、継母と明石家さんまさんの間には大きな溝がありました。

ある日、お酒を飲んでいた継母が「自分が愛しているのは息子(連れ子)だけ」と言っていたそうです。

当時、それを明石家さんまさんとお兄さんが偶然聞いてしまい、酷くショックを受け泣いてしまったそうです。

その後、継母に心を開いてもらおうと思い、幼いながらも明石家さんまさんは毎日毎日必死で面白いことを考えていました。

のちに、この経験が、お笑いの道へ進むきっかけになったと語っています。

親子関係は微妙なものでしたが、弟のことは可愛がっていたそうです。

しかし弟ですが、19歳の時に火事が原因で亡くなってしまいました。

この時、明石家さんまさんはお笑い芸人として、すでに冠番組を持っている人気芸人。

しかし弟を失ったショックで、番組でも笑いがとれなくなってしまったそうです。

普段はテレビであまり家族環境について話していませんが、背景にはとても辛い経験があったことがわかります。

ちなみに兄の正樹さんは現在、スナック店を経営しているそうです。

1974年2月、高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入りした明石家さんまさん。

入門の動機は、花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからためのようです。

高校卒業後の3月に正式に内弟子修行を開始。

入門生活は丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったとそうです。

下積み時代は兵庫県西宮市今津久寿川町「第一久寿川荘」に在住。

高座名は「笑福亭さんま」が与えられ、1976年1月、テレビデビューを果たしました。

東京での初仕事は1978年のフジテレビの正月特番「はつもうで、三枝の爆笑ヒットパレード」。

この番組に出演した際に当番組プロデューサーであった横澤彪さんと出会い、その後横澤さんが担当した多くの番組に重用される事になります。

またニッポン放送で「明石家さんまのオールナイトニッポン」などレギュラーをもつなど徐々に東京にも進出。

1980年代には漫才ブームに乗っかり「THE MANZAI」等に出演。

1980年放送開始の「笑ってる場合ですよ!」、1981年にスタートした「オレたちひょうきん族」へともにレギュラー出演しました。

1986年7月よりTBSテレビドラマ『男女7人夏物語』、1987年10月よりその続編である『男女7人秋物語』に主演。

いずれも最高視聴率が30%を越えるなど名実ともに国民的スターとなります。







日航機墜落事故

1985年8月12日に起きた日本航空JAL123便墜落事故。

「上を向いて歩こう」で有名な坂本九さんをはじめ、520名の方が犠牲になったという歴史に残る大事件でした。

明石家さんまさんは当日、フジテレビで『オレたちひょうきん族』の収録をしていました。

収録語はJAL123便で大阪へ移動し、毎日放送『ヤングタウン』に出演予定だったそうです。

しかし偶然「ひょうきん族」の収録が予定よりも早く終わったため、JAL123便をキャンセル。

一つ前の便で大阪に向かったことで、この墜落事故を逃れました。

墜落事故の情報を受け、大きなショックを受けた明石家さんまさん。

この事故をきっかけに、なるべく飛行機の利用を控えているそうです。

新幹線で行ける場所についても飛行機ではなく新幹線を利用するようになったそう。

またこの経験から生まれた明石家さんまの座右の銘が「生きてるだけで丸儲け」。

娘IMALUさんの名前の由来になっています。







明石家さんまさんの所属について

明石家さんま吉本興業に所属しています。

しかし個人事務所も持っているため、吉本興業との繋がりはそれほど強くありません。

つまり、吉本興業内で個人事務所を構えていて、仕事はそこを通して行っているような形です。

吉本興業と言えばやはりダウンタウンのイメージが強いですよね。

闇営業の際にも吉本興業を辞める辞めないという芸人さんがたくさんいました。

明石家さんまさんは、吉本興業を辞めることについてはその他の芸人よりは恐れていないと思います。







明石家さんまと宮迫博之さん

宮迫博之さんといえば、闇営業問題が話題となり、一時は時の人となりました。

また当時、吉本興業への所属が問題となっていたかと思います。

明石家さんまさんが個人事務所で一時預かり状態か?となるなど、明石家さんまさんから強いサポートを受けているような印象でした。

ラジオ番組『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)で宮迫さんと相方の蛍原さんについて言及。

宮迫さんから「皆さんもYouTube始められているみたいなんで」と言われた明石家さんまさん。

しかし「俺がYouTube出たらあかんやろ。テレビで生きてきた人間。テレビを守ろうとしているからな。YouTube出たらあかんと思う」と本音を語っていました。

実は闇営業が問題になったとき、明石家さんまは数多くのことをしいていたそうです。

テレビ各局の番組関係者らを招いて宮迫さんを囲むパーティーを主催したり、自身の舞台に出演させようとしたり・・

宮迫さんへの復帰への道筋をつくるために奔走していました。

それはなんとか宮迫さんと吉本興業との関係を修復させようと努めてきたと言ってもいいと思います。

そのため勝手にユーチューバーとしての活動を始めたことや、CMの仕事まで始めたことに対して、明石家さんまさんは快く思っていませんでした。

このことがきっかけで、明石家さんまさんは『お前のことなんて1ミリも考えられない』という言葉を発したとも言われています。