プロ野球巨人の高橋由伸監督が今季限りで辞任を発表。後任には前監督の原辰徳さんが就任することが決まりました。
原辰徳さんは監督時代、12年間で7回のリーグ優勝を誇る名将です。
原辰徳さん就任のニュースにネットでは、
「日本一の可能性が残っている中での発表に違和感しかない。」
「すぐに復帰するなら辞めなければよかった。由伸は現役を続けられたのに。」
「今年成長した若手の育成を期待したい。」
と原辰徳さんに期待する一方で、高橋由伸さんを擁護する声も聞かれました。
今回は原辰徳さんについてよく検索されてる
「原辰徳 息子 逮捕」
「原辰徳 永久追放 5億」
「原辰徳 嫁 実家」
「原辰徳 成績 監督」
についてまとめましたので、最後までお付き合いください。
目次
原辰徳の息子が逮捕でやばい?
原辰徳さんの息子の嘉宏さんが逮捕される可能性があるとネットで話題になっています。
嘉宏さんとはどんな人物なのでしょうか。
嘉宏さんは1988年生まれの30歳。巨人の菅野智之さんとは従兄弟の関係です。
嘉宏さんも幼少期から野球に勤しんでいましたが、菅野智之さんとは対照的に、野球人としての才能が開花することはありませんでした。
慶応幼稚舎出身の嘉宏さんは、そのままエスカレーター式に慶応大学文学部に入学するも中退。
しばらくニートをした後、原辰徳さんがコネでフジテレビに入社させようとしましたが断られました。
AKB48のメンバーが所属するAKSに入社することが出来ましたが、平気で遅刻したり、無断欠勤を繰り返すなど、
素行の悪さからクビになってしまいました。
現在はワインの輸入を手掛ける株式会社MAMIROを経営されています。
しかし開業資金や設備投資は原辰徳さんが負担する一方で、嘉宏さん自身は何もしていないことから「起業ごっこ」と揶揄されているそうです。
そんな嘉宏さんにはよくない噂があります。
嘉宏さんはかなりのチャラ男で夜遊びが激しいそうで、
赤西仁さん率いる不良芸能人集団こと「赤西軍団」のメンバーだとか。
赤西軍団には錦戸亮さんや、危険薬物使用で逮捕された高部あいさんなどもメンバーでした。
話によると嘉宏さんは金ヅルとしていいように使われているそうです。
また高部あいさんが逮捕されたときに使用していた薬物は嘉宏さんが提供したのではないかと言われており、
その頃から捜査当局にマークされるようになりました。
高部あいさんの逮捕と原辰徳さんの監督退任のタイミングがかぶるため、
原辰徳さんが退任したのは嘉宏さんが原因だったのかもしれません。
原辰徳が永久追放?5億円事件の真相とは!
嘉宏さんというドラ息子を育てた原辰徳さんはどんな人物だったのでしょうか。5億円事件の真相に迫ります。
事件の真相
1988年、原辰徳さんはオールスターの遠征で兵庫県を訪れていました。
そこで妻子がいる身にもかかわらず、20代のアルバイト女性と不倫したのです。
ここまではよくある話ですが、
後日その女性が妊娠していたことが発覚。
女性は原辰徳さんに面会を求めましたが、原辰徳さんはこれを拒否。
女性は自分一人で思い悩み、身籠った子供を堕ろすことにしました。
女性の日記
相手の女性は妊娠が発覚した前後の自分の心境を日記に書いていました。
その内容がコチラ
91・9・15《マサカのニンシン。7週4日だということ。逆算すると相手は8さん(原監督の背番号)で、ALL STARの日。8さんとはありえナイと思ってたのにィ。この間「しおどき」「別れ話」が出たあと。信じられナイ。全然気付かなかった。話さなきゃ。自分ひとりだけでじゃあやりきれナイ。でも話したら、もう完全に終わりになるんだろうなぁー。「遊びだった」のに、向うにしたら困るんだろうなぁー。でも、私だって困るから。どうなるんだろう》
91・9・20 HIROSHIMA《行ってうちあける。でも、会えず。Telで話しただけ。どうして会ってもらえナイのか、ぜぇーんぜんわからなかった。何故会えナイかは、教えてくれたけど、納得はできない。それに何も言えなくなってしまう。さいごのさいごまでむこうが決めたとおり顔もみず。こんなことがあってもサイゴじゃナイらしい。顔もあわすしどこかで会えば「よー元気かぁー」とも。「今までどおりとはいかナイけど」…「オマエのことは記憶から消えナイし消すつもりもナイ」「孤独に思わなくていい。何んでも相談すればイイ」。キレイすぎる。それに顔もみず会えなかったことは孤独のなにものでもナイんだけど。さびしい。ただそれだけ》
91・9・28《きょうやっと手術した。きのうまでのあの身体のだるさ、重さがうそのようにとれた様です。でも、もちろん2週間程しないと元通りにならないそうですが。でもやっぱり気がはれた!!早く気持ちをいれかえて元に戻ろう!!っと》
日記が暴力団の手に
女性が妊娠した事実を克明に記した日記。
この日記が暴力団の手に渡ってしまったのです。
どうやって暴力団はこの日記を入手したのでしょうか。
なんと不倫相手の女性と同居していた女性が暴力団に売ったのです。
しかもその暴力団は山口系の指定暴力団。
2006年、暴力団はこの日記を使って原辰徳さんを揺すり、
中絶の事実を世に出さない見返りにお金を要求しました。
原辰徳さんは中絶の事実が世に出ることを恐れ1億円支払ったということです。
ネットでは5億円となっていますが、正しくは1億円のようです。
1億円という高い代償を支払い、なんとか社会にも球団にもバレずに済んだ原辰徳さん。
しかし1億円で味をしめた暴力団は原辰徳さんを逃してはくれませんでした。
2009年、原巨人が日本一に輝いたシーズンに悪夢は再び訪れました。
暴力団員が今度は原辰徳さんではなく、球団に対して直接脅しをかけて来たのです。
球団事務所を訪れた暴力団員は、ガソリン缶やガスボンベを持って暴れ回り、その場で現行犯逮捕されました。
当然球団は原辰徳さんの不倫の事実を知りません。
觀念した原辰徳さんは不倫の事実と、それを知った暴力団に1億円を払ったことを始めて打ち明けたのです。
ちなみに日本野球機構では暴力団との交際を厳しく禁じており、
野球協約180条によると
-野球協約180条
となっています。
プロ野球関係者によりますと、暴力団との交際の罪は野球界では最も罪が重いらしく、
普通なら永久追放されてもおかしくないんだとか。
文春砲の悲劇
原辰徳さんは不倫と1億円の献金の事実を、程なくして奥さんにも打ち明けられたそうです。
球団と奥さんにバレてもまだ世間にはバレていなった原辰徳さん。
ただ本当の悪夢はここからでした。
暴力団員が球団を襲ってから3年後の2012年6月。21日発売の週刊文春が、
「原監督が2006年に暴力団員に女性問題で脅迫を受け、1億円支払った」と報じました。
世間に隠し通すつもりだった原辰徳さんと球団はすぐに「1億円を支払ったのは事実だが、受け取った相手は暴力団ではない」と週刊文春に対して名誉毀損で訴えました。
しかし結果は二審とも週刊文春の勝利。原辰徳さんと球団は上告しましたが棄却され、かえって報道が事実であると認める形になってしまいました。
原辰徳の嫁・明子夫人は元ホステス?
原辰徳さんにずっと騙され続けた明子夫人。
明子夫人は原辰徳さんの6歳年上です。
そんな原辰徳さんと明子夫人はいつどこで出会ったのでしょうか。
二人は、原辰徳さんが東海大学在学中に知り合いました。
程なくして意気投合した二人は付き合うことに。
大学を卒業し巨人に入団した1年目に原辰徳さんは明子さんにプロポーズしました。
しかし、原辰徳さんの父親が、この年22本塁打を放ち大活躍した息子のプロ生活の妨げになってはならないと結婚に猛反対。
二人は結局別れてしまいました。
その後明子さんは別の男性と付き合い結婚。
それを知った原辰徳さんは落ち込み、極度のスランプに陥ってしまいました。
しかし明子さんの方も結婚生活が上手くいかずすぐに離婚。
諦めきれなかった原辰徳さんは父親の反対を押し切り、明子さんに猛アタックしました。
そして4年後の1986年に二人は結婚しました。
原辰徳さんはこの年36本塁打を放つなどキャリアハイのシーズンを送りました。
明子さんは元ホステスと噂されており、調査しましたが真相はわかりませんでした。
メディアで取り上げられる明子さんの印象が派手だったのと、当時は野球選手が夜のキャバクラで遊んでいるイメージが強かったため、そういう噂が流れたのだと思います。
いずれにしても再婚してからの明子さんは専業主婦をしています。
原監督の監督時代の成績
来季から巨人の監督に再々就任することになった原辰徳さん。
そんな原辰徳さんの監督時代の成績はどうだったのでしょうか。
2002年、長嶋茂雄監督から引き継ぐかたちで初めて監督に就任ました。
松井秀喜さんがキャリアハイの数字を叩き出すなど主力が活躍し、2位のヤクルトに11ゲームの差をつけてぶっちぎりで優勝。
さらに日本シリーズも制し、就任1年目にもかかわらず日本一の監督になりました。
しかし、2年目のシーズンは松井秀喜さんがメジャーに移籍したこともあって、チームは低迷。
ヤクルトと同率の3位に終わり、巨人としては不甲斐ない成績に終わってしまいました。
チームの成績不振とフロントとの確執もあり、原辰徳さんは就任2年目で早々にクビになってしまいました。
当時、巨人のオーナーだった渡邉恒雄さんはフロントとの確執は否定し、あくまで「人事異動」だと言い張りましたが、
世間には、原辰徳さんとフロントが良好な関係を築けていなかったのは、明らかでした。
原辰徳さんが去った巨人をさらなる悪夢が襲いました。
原辰徳さんから引き継いだのは巨人の元エースだった堀内恒夫さん。
しかしチームは原辰徳さんの頃以上に勝てず、堀内さんも2年でクビになってしまいました。
ここで再び登場したのが原辰徳さんです。
再就任した原辰徳さんは以前までの原辰徳さんではありませんでした。
復帰1年目の2006年こそ4位に終わりましたが、4年目からは3年連続リーグ優勝。
6年目には日本一に輝き、常勝軍団を復活させました。
WBC連覇
原辰徳さんの監督時代のエピソードとして欠かせないのは2009年の第2回WBCでしょう。
原辰徳さんは決勝戦まで不調だったイチローを信じて使い続けました。
バントを3回連続で失敗していたイチローに対し「バントはするな。俺はイチローが見たいんだ!」と励まし、
イチローは決勝の韓国戦で決勝タイムリーを含む6打数4安打と大活躍。
後にイチローは「原監督の言葉が無ければ心が折れていた」と語っています。
そして見事、原辰徳さん率いる侍ジャパンは2連覇を果たしました。
12年間でリーグ優勝7回、日本一3回を達成した原辰徳さんは2015年に勇退されたのでした。
そんな原辰徳さんが指揮する来季の巨人に期待は高まるばかりです。
今回の記事はこれで以上です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
それでは、次回の記事でまたお会いしましょう!
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