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女優の樹木希林さんが15日、自宅でなくなりました。75歳でした。

樹木さんは2004年に乳がんが見つかり、その後全身に転移。この10年間壮絶な闘病生活を送っていました。

夫でミュージシャンの内田裕也さんは樹木さんの訃報について、

あまりに突然の出来事で大きなショックを受けているとか。

すぐに文書でコメントしたいそうですが、気持ちの整理が追いつかず公に出られないそうです。

樹木さんと親交のあった女優の吉永小百合さんは、

「思い出がありすぎて、今は言葉が出ません。ごめんなさい。」とコメント。

また俳優の福山雅治さんんは、

「この前お見かけしたばかりなのに、全く信じられません。表現者として素晴らしい方でした。ご冥福をお祈りします。」とコメントしました。

樹木さんの訃報にネットでは、

「樹木希林さんお疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。」

「内田裕也さんも辛いでしょうけど、お身体にはお気をつけください。」

「樹木さんはロックロールな奥様でしたね。」

と樹木希林さんを偲ぶとともに、内田裕也さんを気遣うコメントで溢れました。

この記事では内田裕也さんの

「内田裕也 樹木希林 若い頃」

についてリサーチしてまとめましたのでご紹介いたします。

ぜひ最後までお付き合いください。

内田裕也と樹木希林の若い頃

内田裕也さんと樹木希林さんの若い頃や出会ったキッカケはなんだったのでしょうか。詳しく迫りたいと思います。

内田さんの友人・かまやつひろしさんと樹木さんがドラマで共演したのをキッカケにふたりは知り合いました。

内田さんは樹木さんに一目惚れしたようで、ドラマ収録の現場を訪れ、遠くから樹木さんを覗き見していたそうです。

内田さんの方から、樹木さんにアプローチし交際に発展。初デートの翌日にプロポーズしたとか。

それから半年の交際を経て、1973年に結婚。ふたりのスピード婚は当時世間を賑わせました。

そんな内田裕也さんと樹木希林さんの結婚生活は壮絶なものでした。

というのも内田裕也さんは暴力と浮気を繰り返す最低な夫だったのです。

樹木希林さんは結婚当初から暴力に悩まれていたそうで、内田裕也さんは暴れ出すと止まらなかったとか。

警察に連絡していつでも来てもらえるようにしていたそうですね。

結局、結婚して2年後には別居。40年以上離れて暮らすことになりました。

内田裕也さんは暴れ出すと包丁を振り回してそうですから、よく2年間も耐えることができたましたよね。

また内田裕也さんの女癖は相当悪く、浮気も一度や二度ではありませんでした。

内田裕也さんは、1988年に女優の島田陽子さんと不倫。

ハワイで一緒にいるところを樹木希林さんと娘に見つかってしまいました。

内田裕也さんはその女性と一緒になるために、無断で離婚届を提出。樹木希林さんは離婚に反対し、訴訟に発展しました。

樹木希林さんが勝訴し、結局離婚は無効になったのです。

度重なる暴力や女性問題を起こした内田裕也さんと別れない理由について聞かれた樹木希林さんはインタビューで、

「大変な思いもしたけど、ああいう人とかかかわったというのは、偶然じゃないという気がしてきた」と答えた上で、

「あの世では同居してもいいかもね。骨だから、喋ることもないし。」と死後は内田家の墓に入ると明かしました。

内田裕也さんと樹木希林さんの夫婦生活は確かに一般とはかけ離れた壮絶なものでしたが、それでもお互い愛し合っていたのでしょう。

内田裕也伝説

そんな内田裕也さんですが、若い頃の伝説がすごいと話題になっています。

住宅侵入と強要未遂で逮捕

内田裕也さんには2009年から年下の一般女性と交際していました。

しかし2010年頃から内田裕也さんの暴力が始まり、女性の方から別れを告げました。

それに激怒した内田裕也さんは相手の女性に復縁を迫り、

相手の女性宅に「会社に連絡した。内容は、暴力団と交際している。アブリをやっている。まだ実名は言ってない。よく考えて一週間以内にTELを。今ならまだ間に合う」と脅迫めいた手紙を投函。

また業者に依頼し女性宅の鍵を無断で取り替え、室内に侵入しました。

当然警察に通報され、住宅侵入と強要未遂の容疑で逮捕されました。

逮捕された内田裕也さんに対して、樹木希林さんは、

「あんな男を放っておいたらもっと迷惑を掛けるから、自分がいる事で最後の一線を越えさせないようにしているんだ」とコメントし、

それでも内田裕也さんと別れることはしませんでした。

矢沢永吉をボコボコに?

当時駆け出し中だった矢沢永吉さんが、キャロルのプロデュースを内田裕也さんに依頼するも急遽破談。

激怒した内田裕也さんは、ボコボコにするために矢沢さんを呼び出しましたが、

矢沢さんの方から殴ってくれと申し出たために未遂に終わりました。

この行動を見た内田裕也さんは、矢沢永吉は大物になると思ったそうです。

都知事選に立候補

1991年に自民党にのせられて無所属で立候補。

公約に「家庭生活に向かず、別居中ガールフレンドとの交際を始め、妻子やGF(ガールフレンド)のご両親に多大なMEIWAKUをかける!」を掲げました。

政見放送では英語で自己紹介したり、突然「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を歌い出すなど、都民の度肝を抜きました。

泡沫候補と言われながらも、結果は無所属で最多の54654票を獲得しました。

本人はいたって真面目で立候補するために借金までしたとか。

内田裕也さんは都知事選立候補を振り返り、「自分でもちょっと頭おかしかったかなと思う部分はある」と言いながらも、

「みんなバカにしてたけど、俺の人生で大きな勇気を与えてくれたね。」と感謝の言葉を口にしました。

メディアでの派手なパフォーマンスや政見放送での奇行など、色物として見られがちな内田裕也さんですが、

内田裕也さんのコメントからも感じられるように彼はただピュアなだけだったのかもしれませんね。

そしてそれが、彼にとってのロックンロールだったのかも。

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