俳優・渡哲也さんが宝酒造「清酒 松竹梅」のCMキャラクターを勇退することが分かりました。来年1月の石原軍団解散に伴い、29日にラストCMの放映が始まります。

集大成として故・石原裕次郎さん(享年52)と最初で最後の共演が実現しました。

今回はそんな2人が乾杯をする内容で、渡さんは「感慨深いものがあります。」とコメントしています。

今後の芸能活動については「芸能界引退はない。やれる役があれば。」と俳優継続を宣言しました。今回はそんな渡さんについて、過去の俳優人生から現在までを深掘りしていきます!

渡哲也って?

名前:渡哲也
生年月日:1941年12月28日
職業:俳優・歌手
本名:渡瀬 道彦
出身:兵庫県淡路島出身
所属:株式会社石原プロモーション相談取締役

渡さんは淡路町立石屋小学校、三田学園中学校・高等学校(6年間の寮生活)、青山学院大学経済学部卒業しています。大学在学中は空手道部 に在籍し、青山学院大学・空手道部OB会長でした。空手弐段。柔道初段。

大学へ通うため上京し、弟の渡瀬恒彦と共に新宿区柏木(現・北新宿)で下宿していたが、在学中に日活が浅丘ルリ子主演100本記念映画の相手役となる新人「ミスターX」を募集しており、弟の渡瀬や所属していた空手部の仲間が内緒で応募します。

本人は激怒しますが、就職を希望した日本航空の整備士社員の採用試験で不合格になり「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない」と友人から言われ、日活撮影所を訪問したそうです。その時にスカウトを受けて1964年(昭和39年)に日活へ入社しました。

日活に入社後、高橋英樹に続くスター候補として売り出されることが決まり、デビュー前の記者会見では破格の扱いを受け 「映画界待望久し!日活に驚異の新星!渡哲也!!」 の横断幕で大々的に売り出されました。

そして1965年3月「あばれ騎士道」で宍戸錠とのW主演でデビューし、この作品でエランドール賞新人賞を受賞します。

2作目の『青春の裁き』で単独主演しオープニングクレジット映像では空手の型・約束組手を披露し、本編での複数相手の乱闘シーンでは飛び蹴りや二段蹴りを連発し正拳突きで止めを刺すなど空手部キャプテンの実績を生かした作品になりました。

また、1966年には監督鈴木清順 脚本川内康範 「東京流れ者」に主演し、主題歌「東京流れ者」も歌っています。

吉永小百合さんとの初共演映画の『愛と死の記録』で第17回ブルーリボン賞新人賞を獲得し、「裕次郎2世」と言われたことから、リバイバル版の『嵐を呼ぶ男』に主演しています。

その後、東映など映画会社数社から引き合いがあるものの、石原裕次郎さんへの尊敬の念などから、1971年借金で倒産寸前の石原プロモーションへ入社します。

1973年8月にリリースした「くちなしの花」が年明けからヒットチャートを上昇し、1974年の年間シングルチャートで7位を記録します。全日本有線放送大賞金賞も獲得し渡さんの代表曲となり、この曲で第25回NHK紅白歌合戦に初出場も果たしています。

渡さんは石原プロ再建に貢献し、石原さんの下で副社長も兼務していましたが、1987年7月17日に石原さんが52歳で死去し、10月から石原プロの二代目社長に就任しました。

2011年5月11日、石原裕次郎23回忌を終えたことの区切りや、自らの健康上のこと、社長在籍期間が裕次郎の社長在籍期間と同じ24年目を迎え「それを越えるわけにはいかない」などの理由から、3月28日付をもって石原プロモーション社長を退任したことを発表します。

2017年)4月病気から石原プロモーションの経営陣に復帰し「相談取締役」の肩書きで相談役と取締役を兼任することになります。

渡哲也は現在、在宅で酸素吸引生活?!

渡さんは1991年に直腸がんを患い、手術後人工肛門をつけたことを公表しています。さらに2015年に急性心筋梗塞で手術を受けており、肺気腫やぜんそくといった持病もあるため今は自宅療養を続けているそうです。

渡さんは自身の健康面について

「食欲はありますよ。週に2、3回治療のために理学療法士に来ていただいています。

リハビリとしては自宅でストレッチやスクワットをしたり、エアロバイクに乗ったり、あとは自宅周辺を歩いたりしています。」

サンケイスポーツより

と語っています。

渡さんが以前から酸素吸入器を使用していることは公の事実でしたが、現在外出時にはそれが手放せない状態になっているそうなのです。

現在の病状について所属事務所の担当者は、

「歩いたりすると呼吸が苦しくなることもありますから、外出時に酸素吸入器を使用していますが、ご心配には及びません。

渡さんは、今後もずっと俳優としての仕事を続けるために、懸命にリハビリや治療を続けています。」

東スポWEBより

と話しています。

渡哲也の若い頃を深掘り!

渡さんは三田学園時代、勉強よりも柔道に打ち込み学校への反抗心から授業をさぼり、たびたび停学処分を受けたそうです。「不良」を気取る高校生活を送っていました。

弟の渡瀬恒彦はまじめで勉強がよくできる生徒だったので、何かにつけて先生から比較されていました。それが面白くなかったのか空手を習いだし、まともに受験勉強もしなかったそうです。

このころ、あそび呆ける息子に対して父親の賢治さんは手紙を書いています。

「父は今、お前のことを非常に心配している。・・・夏休み中のお前の行動を父はすべて知っていたが、黙ってじっと見ていた。

ビールを飲みに行ったことも、たばこをすっていることも、もちろん知っている。・・・

太陽族などと呼ばれる石原裕次郎がいま世に名をあげている。だからのんきにやっていれば、裕次郎のように名をあげられるというようなことを考えてはいないだろう。・・・

学生の本分は勉強である。勉強をしておかなかればろくな人間にしかなれない。

・・・最愛の道彦よ、考えよ。」

渡哲也自伝「俺」より

渡さんのお父さんは、戦後の物資不足で長男と四男を亡くしていて渡さんには大きな期待をしていたんでしょうね。

やがて改心し俳優人生を送ることになった渡さん。数多くの映画やドラマに出演する中で次第に「角刈りにサングラス」というスタイルはが渡さんのトレードマークとなりました。

渡哲也は結婚している?嫁はどんな人?子供は?

渡さんは、青山学院大学の同級生の一般女性である旧姓石川俊子さんとご結婚されています。渡さんが定期健診のために荻窪病院に通っているとき、妻の俊子さんの妊娠が判明します。

俊子さんは早産で2440グラムの男の子を出産し、赤ちゃんの命がもつかどうかの危険な状態が続いていました。渡さんは毎日病院を訪れて子供を見守りました。

一週間生きられるかどうかといわれていた男の子は、危機を乗り越えて退院することができました。息子さんは、小学校から青山学院に通い、大学卒業後は俳優の道ではなく大手ゼネコン鹿島建設に勤務し始めたそうです。

そして現在は渡さん家から歩いて2分のところに引っ越し、看病をしているそうです。

渡哲也は舘ひろしにとって兄貴分?関係性とは?

石原プロ消滅に伴い、所属俳優の今後が注目されています。

独立、移籍などの選択肢のなか、最年長の渡さんが中心となって新事務所を設立する可能性も出てきました。

渡さんはドラマ「西部警察」で型破りな刑事らを率いる大門圭介を演じ「大門軍団」として親しまれてきました。公私ともに石原プロの俳優陣に慕われ、敬われる人柄は所属俳優の求心力となりそうです。

一部報道で独立と報じられた渡さん、舘ひろしさん、神田正輝さんに石原プロは

「まだ何も決まってないし、そのような話は全く聞いてない」

産経ニュースより

と否定しました。

舘さんは石原プロ所属前に、渡さんに挨拶をした際、わざわざ立ち上がって握手をしてくれた渡にさんに心酔し、俳優として人生の先輩として慕い、自他共に認める師弟関係となりました。

舘さんにとって渡さんは兄貴分で、

「若い頃渡さんに言われた「お前には華がある」のこのひとことだけでここまでやってこれた」

東スポWEBより

と語っています。

また石原さんの生前、舘さんは

「僕は渡哲也という男にあこがれて石原プロに入りました。その渡さんは社長(石原)の背中を見て生きてきました。俺は渡さんの背中しか見ていませんから、社長の背中は見えません。横に立って斜めから見ると2人の背中を見ることができますが、それでは社長の背中を見たことにはなりません。」

日本経済新聞掲載

と面と向かって告白をしたそうです。この発言から石原さんが舘さんをいたく気に入ったというエピソードもあります。

舘さん、渡さん、そして石原プロの若い俳優陣などの今後に注目が集まりますね。